
M&Aで会社や事業を譲渡するスキームには「事業譲渡」と「株式譲渡」の2種類があります。手取り額・税負担・許認可や契約の引継ぎが大きく変わるため、自社の状況に合うスキームの判断は重要です。会社譲渡・営業譲渡など類似用語の整理から、6つの観点での比較、簡易な税負担イメージまで、売り手目線で公平に解説します。
M&Aを検討する段階で混乱しやすいのが「売却」と「譲渡」という言葉、そして「事業譲渡」「株式譲渡」「会社譲渡」「営業譲渡」といった類似のスキーム名です。最初にこれらの関係を整理しておきます。
「売却」と「譲渡」は経営者の文脈ではほぼ同じ意味で使われます。法律用語としては「譲渡」が正式名称(株式譲渡、事業譲渡)で、日常会話や経営判断の文脈では「売却」がよく使われる、という違いです。
「会社譲渡」は会社全体を売却することを指す総称的な言葉で、実務上は株式譲渡を意味することが多い表現です。一方で「事業譲渡」は会社の一部または全部の事業(資産・契約・従業員等)を切り出して譲渡する方式で、法人格は引き継がれません。
「営業譲渡」は事業譲渡の旧称です。2006年施行の会社法で「事業譲渡」に名称が統一されました。古い文献や会話で出てきた場合は事業譲渡と同じ意味と理解して問題ありません。
結局のところ、中小M&Aで実質的に選ばれるのは事業譲渡か株式譲渡かの2択になります。本記事ではこの2つの違いを、売り手の手取り額・税負担・引継ぎ範囲・スピードといった観点から公平に整理します。
株式譲渡は、対象会社の株式をオーナー(個人株主)が買い手に売却するスキームです。会社の法人格はそのまま維持され、買い手の傘下企業として継続します。
売り手にとっての税負担は、株式譲渡所得として一律約20%(所得税15%・住民税5%・復興特別所得税0.315%)の分離課税です。フラットな税率で計算しやすく、手取り額の予測が容易です。
メリットは、許認可・各種契約(取引基本契約・賃貸借契約・労働契約等)・従業員の雇用がそのまま引き継がれる点です。引継ぎ手続きが事業譲渡と比べてシンプルで、ディール全体のスピードも速くなる傾向があります。
一方で留意点として、過去の簿外債務・税務調査リスク・訴訟リスクなどを買い手が法人ごと引き継ぎます。そのため買い手のデューデリジェンスが厳格になりやすく、契約書の表明保証条項も重くなる傾向があります。SPAでの留意点は「最終契約書(SPA)で必ずチェックすべき10の条項:売り手が見落とすと後悔するポイント」や「表明保証とR&W保険:M&A契約のリスクを売り手・買い手で適切に分担する仕組み」で整理しています。
事業譲渡は、対象会社の特定事業(資産・契約・従業員等)を選択的に買い手企業に譲渡するスキームです。前述のとおり旧称は「営業譲渡」で、会社法施行後は事業譲渡に名称が統一されました。法人格の売買ではないため、売り手企業は譲渡後も法人として存続します。
買い手にとってのメリットは、不要なリスク(簿外債務・過去の訴訟・将来の偶発債務等)を引き継がずに、必要な事業のみを取得できる点です。中小M&Aでは買い手側がこのスキームを希望するケースが少なくありません。
売り手側の最大の論点は税負担です。譲渡対価は会社(法人)にいったん入るため、オーナー個人の手取りにするには法人税課税後に配当や役員退職金として支払う必要があります。法人税と所得税が二重で課されるため、最終的な税負担が約50%を超えるケースもあります。
また事業譲渡では、取引対象(建物・棚卸資産・のれん等)に消費税が課される点、許認可は買い手に引き継がれない点、契約や雇用は個別に同意を取り直す必要がある点が、株式譲渡と大きく異なります。特定事業だけを切り出す論点は「複数事業の切り出し売却(カーブアウト):本業に集中するための戦略的M&A」でも整理しています。
「事業譲渡と株式譲渡の違い」を最も実感しやすいのが、最終的な手取り額のシミュレーションです。売却価格1億円のケースで両者の税負担イメージを比較してみます(数字はあくまで概算で、実際の手取りは個別条件で変わります)。
【株式譲渡】売却対価1億円はオーナー個人の譲渡所得となり、約20%の分離課税で約2,000万円が税負担。オーナー個人の手取りは約8,000万円となります。フラットな税率で予測しやすいのが特徴です。
【事業譲渡】売却対価1億円は会社(法人)にいったん計上され、法人税課税(実効税率約30%として約3,000万円)の後、残り7,000万円を配当や役員退職金でオーナー個人に分配します。役員退職金の活用や配当課税の構造によって最終税負担は大きく変わりますが、一般的には最終手取りが5,000万〜6,000万円程度になる水準です。
同じ売却価格でも、スキーム次第で手取りが数千万円単位で変わります。退職金枠の活用や対価種類の判定など、税負担を圧縮する打ち手は「M&A対価の課税構造を最適化する:譲渡所得・退職所得・給与所得・一時所得の判定と税負担」で詳しく整理しています。手取り全体の話は「会社売却後の創業者利益:手取り・税金とセカンドキャリアの選択肢」を参照してください。
事業譲渡と株式譲渡を、売り手の意思決定に効く6つの観点で並列比較すると次のようになります。
【1】対価の受領者:株式譲渡=オーナー個人/事業譲渡=会社(法人)。個人の手取りにするには事業譲渡では追加の取り出しが必要。
【2】売り手の税負担:株式譲渡=約20%の分離課税で予測しやすい/事業譲渡=法人税+配当・退職金課税で最終税負担が重くなりやすい。
【3】許認可の承継:株式譲渡=法人格そのままで引き継がれる/事業譲渡=買い手が新規取得もしくは既存許可で対応する必要あり。
【4】契約の引継ぎ:株式譲渡=契約名義の変更は原則不要(チェンジ・オブ・コントロール条項の確認は必要)/事業譲渡=取引先・賃貸人・労働者から個別同意を取得する必要あり。
【5】従業員の雇用:株式譲渡=雇用契約は自動承継/事業譲渡=転籍同意が必要で、離職リスクや退職金の精算論点が発生する。
【6】簿外リスクの帰属:株式譲渡=買い手が法人ごと引き継ぐためデューデリジェンスが厳格化/事業譲渡=対象範囲のみ譲渡されるため買い手のリスクは限定的。
一般的に売り手の手取りや引継ぎのスムーズさを優先するなら株式譲渡、買い手のリスク回避を優先するなら事業譲渡が選ばれやすい傾向にあります。
オーナー個人の手取りを優先するなら株式譲渡が原則有利。事業譲渡を選ぶ場合は退職金枠の活用で実質税負担を抑える設計が必要になります。
過去の労務問題・訴訟・税務調査リスクが大きい会社は、買い手が事業譲渡を希望するケースが増えます。会社価値の見え方は「会社の値段はどう決まるのか:中小企業M&Aで使われる3つの企業価値評価方法」もあわせて確認してください。
1事業だけ売却したい場合は事業譲渡。会社全体を売る場合は株式譲渡が基本になります。
許認可ビジネスや長期契約が事業の柱であれば、株式譲渡のほうが引継ぎがスムーズです。
株式譲渡は雇用契約を自動承継、事業譲渡は転籍同意が必要です。離職リスクの観点で株式譲渡のほうがスムーズに進みやすくなります。
中小M&Aの主流は事業譲渡と株式譲渡の2つですが、規模や目的によっては他のスキームが採用されることもあります。包括的な理解のために簡単に触れておきます。
【会社分割】会社の一部の事業を分割して別法人に移し、その株式を譲渡するスキーム。組織再編税制を活用することで事業譲渡より税負担を抑えられるケースがあります。グループ再編や大規模M&Aで使われることが多い手法です。
【株式交換・株式移転】親子会社化やグループ再編で使われるスキーム。買い手企業の株式を対価として受け取るため、即時の現金化には向きません。上場会社が関与するM&Aでよく使われます。
【MBO(マネジメント・バイアウト)】経営陣が自社株を取得して独立性を高めるスキーム。事業承継型のM&Aや、上場企業の非公開化で活用されます。
中小企業オーナーの売却としては、まず事業譲渡と株式譲渡の2択で検討を始めて問題ありません。その上で自社の状況に応じて他スキームの可能性をアドバイザーと協議するのが現実的な進め方です。
事業譲渡と株式譲渡は、最終的な売り手の手取り額・税負担・引継ぎリスク・スピードが大きく異なります。検討の早い段階で、自社にとってどちらが有利かを概算試算しておくことが、納得感のあるM&Aの第一歩です。
スキーム選択は税務・法務・労務が複雑に絡むため、複数の専門家に相談することをおすすめします。同じ売却価格でも、スキーム次第で手取りが数千万円変わるからです。
M&Aプロフェッショナルズでは、M&A仲介会社・買い手FA・売り手FAを比較し、目的に合う専門家へ相談できます。買い手FAを選べば売却時の手数料は0円です。まずは自社の状況を整理することから始められます。